総括2012

 とうとう2012年も終わります。
 今年は本当にいろんなことがありました。去年の今頃はたぶん死んだように生きてたんじゃないかなと思い、去年の文を読み直してみたところ、以外にも生に積極的な様子でした。文章にすると気持ちが落ち着くからではないかなと解釈しました。逆に、普段楽しげな人ほど、こういう時に悲観的な文章を書くのではないでしょうか。

 さて、まず初めに書いておきたいのは、世の中には素敵な人が私が思っている以上にたくさんいるということです。折り紙サークルの人たちは尊敬出来る人たちばかりで、人間捨てたものじゃないなあとつくづく感じます。そして、私は病んでいたんだな、とはっきり気づきました。外に出るのが怖くて、気持ち悪いやつだと皆に笑われているように感じていましたが、あれは異常でした。今では別に誰に何を思われてもいいじゃないか、と思えるようになりました。だいいち道行く人にも人生があるわけで、ただのモブである私に注意を払う必要なんて一切ないし、メモリーの無駄遣いでしかないですからね。相変わらず人の目は気になりますが、まったく気にしない人になりたいとは思いません。何事も適度が一番です。
 サークルに入って、私は誰の目にも明らかなほど変わりました。明るくなったといわれます。心の底から感謝しています。皆ありがとう。そして、勇気を出して、サークルに入った私、ありがとう。あれだけやらかしてたんだから、心が折れていたっておかしくなかったのに、懲りずに挑戦して正解でした。あんなに居心地の良い場所があるだなんて知らずにコンプレックスの固まりのまま生きていくところでした。根暗じゃなくなったら人の痛みがわからなくなってしまうんじゃないか、と半ばおびえていましたが、そんなことは全然ありませんでした。根本は何も変わっていないからです。明るくなっても、根は暗いし、明るい人の中の痛みにも目を向けられるようになりました。心が広くなったということなのかなと思います。

 自分が何に嫉妬しているか考えれば、自分のやりたいことが見えてくる。
 これはたしか心理学の授業で聞いた話です。嫉妬して、相手を罵倒して、自分はまるで興味ないみたいなふりをするか、それとも、そこに近づこうと努力するか。これが、大きな差なんだろうな、と思います。そして、嫉妬は自分に自身がないことの表れなのだと思います。
 自分に自信を持つことはとても大切だし、認めてあげないといけない。他の誰にも相手にされなくとも、自分だけは認めてあげなくちゃいけない。


 それでは、抱負を振り返ってみましょう。
 去年の抱負は、「おもしろきこともなき世におもしろく」でした。
 そういえば『初めて風俗に〜』の単行本を本屋で見かけて、ちらりと窺ったところ、帯に映画化決定!と書いてあった気がします。この話はフィクションで、作者の身元も割れていて非難轟々だったように記憶しているけれど、発売されたんですね。話自体は面白かったもんな。
 閑話休題。おもしろいことを追い求めて挑戦してみたりはしましたが、自分から面白くしようとはしなかったかもしれません。けれども、私は、とにかく一緒にいて面白いなと思ってもらえる人になりたいなといつも思っています。顔面偏差値の低い人は決してクールになれません。少なくとも、他人からクールだと認識されることはなく、ただの空気になることでしょう。つまり、私にできることは、人を楽しませることだけ。ユーモアのあるユニークな人になりたい。

 ところで、あれだけ忘れまいとしていたことも、色褪せてきているようです。たとえば感銘を受けた小説の詳細。最近は「青の炎」に深く感動しました。読後3日ほどたった今も胸の中に秀一がひっそり居座っています。
 そういうわけで、記録をつけるのは大切だなと実感しています。それに去年の私と今の私は、考え方がいくらか違うはずです。どっちが良いとか悪いとかじゃなく、いろんな考え方を受け入れられる人になりたい。そして、今年は理想に少しでも近づけたのではないかなと自負しています。去年より、自分に少しだけ自信が持てるようになり、他人に少しだけ寛容になれたと思います。やっぱり自分を許さないと人も許せないし、自分を愛さなきゃ人も愛せないんだなあとしみじみと感じました。これが、余裕であり、ゆとりなんだろうな。

 今年の抱負ですが、実はまだ決まっていません。一応「感情をコントロールする」が暫定です。よく考えれば、達成できたと判断した時点で次の目標に移るのも十分アリですよね。
 貴志.祐介さんのインタビュー回答にあった、自分の作品のモチーフは何だ、という質問に対する答えに、「安定的なものは生き残り、不安定なものは滅びる。善悪の別は、何の関係もない。」というものがありました。別に生き残りたいわけじゃないけれど、安定したいですね。安定は安心を与える。


 さて、私が高校生の時に気づいたことで、今でもよく覚えていることがあります。
 信号待ちをしているときに、私はいつも(今車が突っ込んで来たら私は死ぬんだな)と考えていました。それ以上でも以下でもなくて、それが怖いと思ったことはありませんでした。しかし、ある日、同じように思ったとき、恐怖を感じました。死にたくない、生きたい、と思いました。
 このときの衝撃は今でもうっすらと覚えています。なんて幸せなんだろうと思いました。生きたいと実感したのは、あの時が初めてかもしれません。生きたいと思えることって私にとってはとても幸せなことに感じました。それ以後、私の中での幸せの基準は、生きたいと思えるかどうか、です。どんなに苦しくても、絶対に生きてやる、と思えれば、それは幸せなんじゃないかな、なんて平和の中にいるから言えるのでしょうか。

 幸せというのは、主観的な言葉だと思います。だから、勝手にあの人は貧乏だから不幸せだとか、お金持ちで家族もいて平穏に暮らしているから幸せに違いないと決めつけるのは傲慢な押し付けだと思います。


 それから、初音ミクちゃん。今年もありがとう。これからもよろしくね。
 今年以上に楽しいことはもう起こらないかもしれないけれど、来年も生きようと思います。