愛してやまないハイキューのサードシーズンがはじまり、これからの流れに期待して、とにかく楽しみに生きていたところ、思わぬ訃報に気落ちして立ち直れません。烏養コーチ。わたし、コーチのこともそれほど愛してたんだって、はじめて知りました。失ってから気づくってこういうことなんですね。田中さんご本人が、というよりも、烏養コーチに優勝するところを、烏野が全国出場を決めたところを、見せてあげることが出来ないんだと感じてしまい、たいへん沈んでいます。ハイキューが完成しないことを嘆いています。
すごく自分勝手だけれど、なんでこのタイミングなんだって、三期とり終えるまで待ってくれよって思っている。ハイキューの全国出場を心の底から喜べないじゃないかって、思っている。
でもきっと御本人が一番辛い。
死んで欲しくなかった。

私には文章力がないので、好きなフレーズを引用します。

僕が握ってきた智依子の左手。それが失われて右手だけになったとき、智依子が自分のバッグを右手で持ってる時には僕はどの手を繋げばいいんだろう?
バカバカしいことを考えている。智依子が腕を失うかもしれないというところなのに、僕は自分が握る手のことばかりを考えている。そんなんじゃ駄目だ。僕はもっと智依子の感じている恐れや痛み、苦しみなどをもっとちゃんと真摯に想像するべきなんだ。でも僕が僕として寂しいのは智依子の手を握れなくなることなのだ。
〈中略〉
でも大好きだ、愛しているということよりも、最期には、死んでほしくないということを伝えたかった。死んで欲しくない、死なれるのは嫌だという言葉の中に、大好きだ、愛してるという気持ちは十分に入ってる。



ずうっと鬱々していたのだけれど、特別にハーゲンダッツを食べてみたら、元気が湧いてきました。私の数少ない取り柄のひとつが、立ち直りが早いことです。
そもそも中の人が誰だろうと、烏養コーチには変わりないんだった。もちろん親交はないので、烏養コーチであること以上は何も知らないのです。コーチを演じてくださってありがとう。
哀悼の意を捧げます。どうか安らかに。Gone but Not Forgotten.


ちょっと調べてみて、哀悼の気持ちを示す詩って色々素敵なものがあるんだなあとおもいました。わたしの元気の源は、いつも言葉(それからおいしいもの)です。素敵な詩集が読みたいな。